[スリランカ] 天空の宮殿 シーギリヤロック
スリランカには登録されている世界遺産が8つ(文化遺産6、自然遺産2)あります。
中でも訪問者数ならびに認知度も一番高いのは『古代都市シーギリヤ(Ancient City of Sigiriya)』。
「シギリヤロックまたはシーギリヤロック」の名前の方が聞きなじみがあるかもしれません。
■ツアー紹介
■日帰りプラン
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[世界遺産] シーギリヤロックを眺めつくす旅(TC0071-43)
■宿泊プラン
■ミニ旅シリーズ【バワ×世界遺産❶】ヘリタンスカンダラマとシーギリヤロック1泊2日間(TC0071-704)
■ミニ旅シリーズ【サファリ×世界遺産】国立公園エレファントサファリとシーギリヤロック1泊2日間(TC0071-712)
5世紀後半、そびえ立つ高さ180mの花崗岩の頂上に、カッサパ王一世は7年の歳月をかけて王宮を築きました。この宮殿を中心として都市が築かれ、シギリヤは10年半王都(首都)となっていました。
シギリヤロックとはどんな岩山なのか早速観光にご案内しましょう。見どころは多くありますが、主要な見どころ5か所をご紹介します。
追加情報
シギリヤロックは2023年1月14日より入場開始時間が早まり、朝5時半から入場が可能となっています。そのため、時期によってはシギリヤロック頂上で日の出を見ることが出来ます(※夜明け前の登頂の場合は、懐中電灯などの装備が必須となります)。しかし、シギリヤミュージアムは8時開館となります。
❶ シギリヤロック入り口(📷撮影スポット)
お堀を渡り、入場して目の前にあるのはシギリヤロック正面。多くの方がシギリヤロックをバックに写真を撮ります。
人の大きさと比較すると岩山の巨大さが実感できるかと思います。シギリヤロックは入場口と出口が異なります。再度この入り口には戻りませんので、ここでの写真撮影はこの機会のみとなります。
両脇は水の広場(Water Garden)と呼ばれる庭園があり王の沐浴場や噴水の跡を見ることができます。庭園の整備技術や灌漑技術の高さをうかがい知ることができます。
広場を直進し、石窟寺院(Cave Viharaya)跡や説教の岩場(Preacing Rock)跡を抜けると、階段が始まります。岩山の頂上までは1200段の階段をのぼります。
❷ シーギリヤレディ
岩山の中腹にある洞窟の中の岩肌には、浮かぶ雲間に花や盆を持った美女が描かれたフレスコ画があります。美女には諸説ありますが、インド神話における水の精アプサラ(天女)とされています。
かつては500体の美女が描かれていたというこのフレスコ画。現在確認できるのは18体のみ。それでも現存しているものは、1500年以上も前に描かれたものだとは信じられないほど色鮮やかにはっきりと残っています。
以前はフラッシュを使わなければ写真撮影が可能でしたが、保護を理由に2015年12月以降は写真撮影が全面禁止となっています。
シーギリヤレディの描かれた洞窟へは、鉄格子で囲まれた狭い螺旋階段をのぼります。高所恐怖症の方は、このエリアを飛ばすことも可能です。
❸ ミラーウォール
漆喰の壁の表面に、石灰、卵白、蜂蜜などを混ぜたものを塗り磨き上げることによって鏡のような光沢のある壁がつくられています。かつては対面の壁に美女の画が描かれ、このミラーウォールに映る仕掛けだったと言われてます。
壁には詩も刻まれており、古典文学の研究者によって685篇が解読されています。
❹ ライオンテラス(📷撮影スポット)
ミラーウォールを過ぎて階段をのぼると、ライオンのテラス(Lion Terrace)に出ます。ライオンの名の通り、煉瓦でつくられモルタルで固められたライオンの前脚があります。その間に階段があり、ここからが宮殿の入り口となります。
ライオンテラスは広場になっているので一息つくことができます。
過去の文献や出土品から、当時はライオンの顔があったことが判明しています。口を開けたライオンの中に入っていくデザインであったのではないかと考えられています。
このライオンの脚の入り口も撮影スポットとなってます。シーギリヤレディエリアを除くここまでの階段は、壁に挟まれている箇所が多いので、高所恐怖症の方でも大丈夫とおっしゃる方が多くいます。
ライオンの入り口から宮殿跡までは上記写真のように鉄階段となり眼下に景色が見えます。この先は登るのが怖いという方は、このライオンテラスで待っていることも可能です。
下記の写真は王宮跡までの階段途中で真下のライオンテラスを写したもの。
❺ 王宮跡(📷撮影スポット)
シギリヤロックの頂上です。360度何も遮られることなく景色を一望できます。
頂上からだと、通ってきたシギリヤロック正面の水の広場(Water Garden)が幾何学的に対称的な空間配置となっていることがわかります。
王宮の広さは約1.5ヘクタールあったとされ下宮、上宮、
ピドゥランガラロック
『シギリヤロックと同じ目線で見える山』として近年人気なのがピドゥランガラロック(Piduurangala Rock)。シギリヤロックを西の方角から眺めると、シギリヤの北側にもう一つ山があるのがわかります。
ピドゥランガラロックには寺院ならびに僧院(Pidurangala Cave& Rock tempe)があり、これらはシギリヤロックに宮殿を建設したカッサパ王一世が建設ならびに改修し、シギリヤにいた僧侶をここに移したと言われています。しかし、ここはもともと洞窟を利用して2500年以上前から僧侶が生活していた場所とされています。
ピドゥランガラロック頂上からはシギリヤロックの北側正面が見えます。
双眼鏡や望遠カメラで覗くと、ミラーウォールやライオンテラス、ライオンテラスから宮殿頂上までの階段、王宮跡を見ることができます。
※ピドゥランガラロックの頂上は平たい岩場ですが、頂上までの道は整備されていなかったり、頂上手前の最終箇所は手足を使ってよじ登る必要があるため、服装や靴などの装備、お子様連れには注意が必要です。
‘狂気の王’と呼ばれたカッサパ王
眺めの良い岩山の頂上に宮殿を構え、玉座に座り演舞を眺める・・・「栄耀栄華を極めた人生」と感じるかもしれません。しかし、カッサパ王一世の生涯を知ると見えてくるのは『闇』です。
5世紀後半カッサパは、アヌラーダプラ王国のダートセナ国王の長男として生を受けました。カッサパには異母弟のモッガラーナがいました。カッサパ王の母親は平民出身、弟モッガラーナの母親は王族出身でした。
カッサパは弟に王位が継承されるのを恐れ、ダートセナ王に不満を持つ家臣と共謀してクーデターを起こし、父であるダートセナ王を投獄ならびに王位を剝奪しました。暗殺を恐れた弟のモッガラーナはインドへ亡命しました。
このようにして王位を剥奪したカッサパは477年にカッサパ王一世としてアヌラーダプラの国王に即位しました。その後、カッサパは父親に対して隠し財産をすべて出すよう迫りますが、ダートセナはカッサパを自らが建造した貯水池(※)へと案内し、「これが宝だ」とけだと伝えたといいます。はぐらかされたと思い激怒したカッサパは、家臣に命じて父を殺害させました。(※しかし、実際この時代にこれだけの規模の灌漑設備が造られたのは驚くべき技術で、乾燥地帯に属するアヌラーダプラ周囲一帯の水田に水の供給ができたこの貯水池は、王国の財産そのものだったのです)
父親を殺害後のカッサパは、自責の念にとらわれてなのか寺院や僧院などを建て善行に励んだと言います。また弟からの復讐に怯える日々が始まります。やがてカッサパはアヌラーダプラから約75km離れた場所にあるシギリヤの岩山の頂上に宮殿の建設を始めます。建設は父の供養のためとも弟からの復讐から逃れるためともいわれています。宮殿は建設から7年後に完成し、それと共に王都もアヌラーダプラからシギリヤに移されました。
495年、兵を引き連れた弟のモッガラーナに侵攻され、カッサパ一世は自害して自らその生涯を閉じます。その後王都はシギリヤから再びアヌラーダプラに移されました。
天空に近い宮殿での約11年。カッサパ王の目にはシギリヤロックからの景色はどのように映っていたのでしょうか。